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【BR】沈壽官窯と薩摩焼のブランド管理

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弊社で企画運営を担当している鹿児島の食とデザイン事業において、デザイン開発ワークショップのアドバイザーをお願いしている福岡のデザイナー茂村巨利さんを美山・沈壽官窯にご案内いたしました。

昔々の人々が24時間つきっきりで何日もかけて焼き上げていた風景を思い描いてしまうような趣きある登窯。

積み上げられた薪も記憶にある祖母宅の炊事場・風呂場のものより断然太く長く大きくら、焼き上げるには相当の高温が必要だったことが想像されます。

何度きても発見があるのが収蔵庫。今回気になったのはこの展示です。

明治時代になり、政府が焼物の輸出を奨励、西欧で人気だった薩摩焼に注目が集まり、各地で薩摩焼風のものが製造されるようになったことが右側のパネルに書かれています。そして左側のパネルが注目で、言わば薩摩焼の兄弟のような各地での薩摩焼の説明がなされています。

説明を読んでいくと、薩摩焼の粗悪品や模造品により、国際的な信用失墜などに悩まされたことが書かれています。薩摩焼は鹿児島で素地、つまり絵付け前の焼物を出荷し、東京や横浜で絵付けをして商品として完成させるという生産プロセスがあったようで、クオリティ管理が難しかったという背景があったのかもしれません。

そして12代目が鹿児島県知事に出した上申書。タイトルは、「国産の薩摩焼を盛んにし、県益を増すことを上申する」。県内に絵作けができるものがおらず、輸出港近くの横浜、東京など絵付けができるものが多い地で薩摩焼の仕上げをしているため、利益が鹿児島に残らない、県内で絵付け職人を育成すべきだ。という内容です。

ここからは推察ですが、粗悪品に悩まされてブランド毀損が発生するとともに、最終商品が作れないため利益が鹿児島に残らない産業構造を改革し、生産プロセスの一体化でブランド価値を取り戻そうとしたのではないか。

収蔵庫を見ていると、明治期を担った12代目は、意欲的な作品を作り、経営に奔走し、世界中のコンクールに薩摩焼を出品し、(見た目だけでない)本質的なブランディングに着手し…。エネルギー満ち溢れた人のイメージが湧いてきます。

明治期にもブランド化に悩みもがいた先人がいたことを知り、ブランド化とは常に経営にまつわる課題として存在するものなのだと、デザインおよび事業価値向上両面からのブランド化の重要性を改めて認識致しました。